“怪魚ハンター”として知られる小塚拓矢さんをご存知の方も多いと思います。
そんな小塚拓矢さんの経歴をWIKI風にまとめ、怪魚ハンターと呼ばれる原点はどこにあるのか?について調べてみたいと思います。
小塚拓矢(こづかたくや)WIKI風プロフィールや経歴まとめ
小塚拓矢(こづかたくや)WIKI風プロフィール

- 生年月日:1985年9月7日
- 出身:富山県高岡市
- 在住:富山県高岡市
- 血液型:AB型
- 高校:富山県立高岡高等学校
- 大学:東北大学理学部、同大大学院修士課程を修了
- 特技:剣道3段
- 結婚 2019年5月1日、33歳の時に入籍し、同年6月に結婚式
- 子供 2020年11月 長女のそらちゃん (2023年6月現在2歳)
2022年7月 次女のひかりちゃん (2023年6月現在生後11か月)
小塚拓矢(こづかたくや)経歴
- 巨大淡水魚を追いかけ世界56カ国・1300日以上を釣り歩く
- 東北大学在学中から釣り雑誌のライター業をしていた
- 2012年、釣り具の企画・販売を行う『株式会社モンスターキス』を起業
- 現在はトークショーや講演会を行っており、釣りや冒険の魅力を広め、人々にアウトドア体験の楽しさや大切さを伝えています。

好きなことを突き詰めていき、それを仕事にしていることが羨ましいですね!
小塚拓矢(こづかたくや)著書
- 2010年 怪物狩り 世界“旅的”個人釣行ビジュアルガイドBOOK (Rod and Reel)
- 2015年 秘境&深海怪魚超百科 (これマジ?ひみつの超百科)
- 2016年 怪魚ハンター 青春を竿に賭けて (ヤマケイ文庫)
- 2017年 怪魚を釣る (インターナショナル新書)
- 2017年 怪魚大全
- 2020年 釣れる怪魚図鑑完全ガイド 全種リアル写真付き
- 2023年 怪魚料理読本 世にも奇妙な生物を獲って喰う (SAKURA MOOK)
怪魚についてたくさんの著書を出版されているようです。
怪魚ハンターの原点はどこに?幼少期から大学まで
小塚拓矢(こづかたくや)釣りの初体験は1,2歳

小塚拓矢さんさんの釣り初体験は1、2歳の頃のようですが、お父さんお手製の段ボールを魚や蛸の形に切った手製の釣り堀玩具だったそうです。
魚が好きだった小塚拓矢さんは、幼少期に全国の水族館に連れて行ってもらったようです。
実際の釣りは幼少期になってから父親に富山湾に連れて行ってもらったそうです。
小学校からは、近所の用水路でウグイを釣ったり、海でキス釣りをしたりすることが日課になったそうです。
小学校高学年からルアーにはまる
小学校高学年ごろ、夕方の日没ころの釣り人が防波堤からルアーを投げて高級魚のキジハタを釣っていた光景を目にした小塚拓矢さん。
ルアーでの釣りに大衝撃を受けたと語っています。

擬餌なんかで釣れるわけないと思っていたので、僕にとっては衝撃的。次の釣行時に落ちていたボロボロのワームを使って試しに投げてみた。すると、クジメと、アナハゼがかかったんです。これは面白い
引用:VARIVAS
と、そこからは一気にルアーに傾倒していった小塚拓矢さん。
怪魚ハンターの原点となった出来事といっても過言ではないですよね。
さらに、小学校6年生の時にも怪魚ハンターの原点となった出来事がおこります。
小学校6年生で怪獣(ブラックバス)退治も原点に!
祖母の家の近くにブラックバスがいるという情報に、



「僕のまだ見ぬ“世界”を、異国を泳いでた魚が、そこにいるんだと。宇宙人と同列、そんな感覚でした」。



「ルアーで『怪獣を倒しに行く』感覚だった」
という感覚を覚えたそうですが、初挑戦の日には釣れず悔しい思いをし、夏休みの最終日に再び“怪獣退治”に挑むと、幸運にも獲物を手にすることができたようです。



「今でも明確に覚えています。とてもいい夏休みの思い出。それは僕にとって釣りの大きな原体験になった」。
そして中学に入ると、ブラックバス一辺倒の時代がやってきます。
高校時代はキジハタに


高校時代にはいったん釣から離れ、同世代と同様にギターにははまったそうですが、彼女との別れから再び“釣りキチ”に戻ったそうです。
そのきっかけは8月後半でキジハタの最盛期に鬱々としていた気分を転換しようと海に出かけたことだったそうです。
このまま、その頃の彼女とうまく続いていたら、釣りキチには戻っていなかったかもしれないと思うと人生はわからないものです。
モンスターキスではキジハタがルアーを始めるきっかけになった魚とも語られています。



自分がルアーフィッシングを始めるきっかけになった魚、キジハタ。
引用:モンスターキス
小塚拓矢・武石憲貴に感化され海外釣りに目覚めた大学時代


小塚拓矢さんは、高校時代に世界を釣り歩く武石憲貴の存在を知り秋田に住む武石さんに会いに行ったそうです。
武石さんは現地で馬を購入し、単独で草原を駆け、ジャングルに分け入り、奥地の川でそこにしかいない一匹を釣ったという。



「超カッコいい」
そして、小塚拓矢さんは海外で釣行するための半年サイクルは以下に!
4か月間 | 交通誘導などのバイトで、生活費や授業料などを差し引いた約10万円を毎月貯める |
1か月間 | 試験 |
1か月間 | 海外釣行 |
大学時代から徹底した自己管理能力ですよね!
さらに、小塚拓矢さんは「海外の僻地で手持ちの金を奪われた」場面を想定し、事前に国内の無人島で対策合宿を試みているというから、危機管理能力があるというかストイックですよね!
大学のクラスメイトたちを誘って牡鹿半島の無人島で自給自足の生活を送っていたところ、ウニの密漁疑惑で友人キャンプ場へ強制移動させられたとのこと。
その時の画像です。一番右側が小塚拓矢さんです。
なんともユニークな発想で、面白いですよね!


小塚拓矢・2008年23歳釣りの残酷さを自覚する


小塚拓矢さんは2008年アマゾンに釣行したときのこと。
2mを優に超えるピラルクーを釣り、引き揚げた瞬間、自分の腕の中で息絶えてしまったのだ。



あっという間の出来事。自分よりデカイ魚を殺してしまった感覚は今でも忘れられない。自分はものすごく残酷なことをやっていると自覚しました。それからは一度釣って満足したら、同じ獲物は二度と狙わないのが基本になった。同じものをたくさん釣ったり、サイズアップを狙ったりしないようになったのは、そのときの罪悪感があるから」。
と思い、その時に残酷なことをしていることを自覚したのだそうです。
そして時が経った2020年のメルカリマガジンでは



「どんなに『魚を大切にしたい』と願い、キャッチアンドリリースを前提とした釣りでも、魚の口をハリで傷つけたり、魚を疲れさせたり、時には死なせてしまったり…。つまりいじめて楽しんでいる。なので、せめて魚に対して最小限のプレッシャーで最大限の満足度を得たいなと思って。そのために、できるだけ“自分度”を上げたい。例えば全長1メートルの魚を釣ったとして、そのうちの何センチ分が自分の物語だと胸を張って言えるのか? ということ」
と釣りとの向き合い方を語っています。
そして、2008年の翌年からも、小塚拓矢さんの戦歴は華やかさに磨きがかかっていきます。
小塚拓矢・2009年24歳怪魚「ムベンガ」


小塚拓矢さんは、アマゾンの翌年2009年、アフリカ・コンゴ川に釣行し、怪魚「ムベンガ」を釣りあげました。
その頃の小塚拓矢さんは、進化生物学を専攻する東北大大学院の2年生でした。
3週間もあれば釣れると思っていたが、釣れずポイントを探すだけで約1か月もかかったのだそうです。
日本に帰国しようと思い、一度は乗り継ぎ地・フランスまで戻ったが、諦めきれず、ヨーロッパで態勢を立て直して2週間後、航空券を買い直し、再びコンゴ川に戻ったというのです。
日本をたってから61日目。体重は10キロも減っており、しかも、その頃は大学院博士後期課程に進む大事な時期と重なっていた。が、小塚さんは帰国せず、研究者になる道を諦めてムベンガをとったようです。



「そのとき一番やりたかったムベンガ釣りを選び、悔いはない」
と言い切る小塚拓矢さんは男らしいですね!
怪魚ハンターの原点はどこに?社会人になってから
小塚拓矢・2012年27歳「ディンディ」


2012年にはパプアでのこぎりのような巨大な角を持つ「ディンディ」、釣り上げたあとは、大きなヒレ2枚を煮付けに。
たっぷりの砂糖と、惜しまず醤油を使って煮込めば悪魔的な美味しさだったようです。
小塚拓矢・2013年28歳「ピライーバ」


2013年はスリナムで淡水魚世界最強と言われる「ピライーバ」を抱き上げた。


この時のドキュメントは情熱大陸でも放送されていたようです。
どんな過酷な状況でも、絶対諦めない。
そして最後には、巨大な怪魚を仕留める駆け引きが面白いと評判のようです。
まとめ
小塚拓矢さんは冒険心旺盛であり、その情熱は多くの人に感銘を与えています。
現在は2児のお父さんでもある小塚拓矢さん。
この先の活躍も期待したいですね!
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