水木一郎はうたのおにいさんだった!幼少期からジャズを聴き音楽環境に恵まれる!

「マジンガーZ」など多数のアニメ・特撮番組の主題歌を歌い「アニメソング界の帝王」と呼ばれた水木一郎(みずき・いちろう)さんが6日、肺がんで死去されました。

過去にはNHK「おかあさんといっしょ」2代目うたのおにいさんを務めるなど、アニメ業界以外でも活躍していたようです。

そんな、うたのおにいさんだったころについて調べてみました。

目次

ネットの声

https://twitter.com/jmw15wmtj023/status/1602196255442194433

水木一郎さんが「うたのおにいさん」だったことを知らない人たちも多いようです。

私も、今知りました!

水木一郎のプロフィール

  • 読み方(みずき・いちろう/Ichiro Mizuki)
  • ニックネーム松本茂之, 山本一郎, ミズキング
  • 出身地東京都世田谷区
  • 生年月日1948年01月07日
  • 年齢74歳
  • 星座やぎ座

1948年東京都出身。1968年に歌謡歌手としてデビュー。
その後1971年に「原始少年リュウ」の主題歌をきっかけに活動の場をアニメソングへと移す。
以降「マジンガーZ」「バビル2世」「仮面ライダーX」「超電磁ロボ コン・バトラーV」「宇宙海賊キャプテンハーロック」などアニメ、特撮番組の主題歌を数多く発表し「アニメソングの帝王」の異名を得る。
1999年には前人未踏の「24時間1000曲ライブ」も敢行。
自身の持ち歌は1200曲を越え、近年は中国、フランス、シンガポール、タイなど海外でもライブを実施。

水木一郎がうたのおにいさんだった頃

水木一郎さんは、1976年から3年間、2代目うたのおにいさん として「おかあさんといっしょ」に出演されていました。

水木一郎さんが28歳~31歳の頃のようです。

団塊ジュニア世代は、小さいころから水木さんの歌を聴いて育ちました。

団塊ジュニア世代とは→2022年時点で48〜51歳です。
1970〜80年代という日本の高度経済成長の中で幼少期〜10代を過ごした世代にあたります。

お茶目でサービス精神旺盛ですね!

とくに「ちょんまげマーチ」が有名です。

こんな早口の歌で、テンポも難しそうですが、さすがレジェンドですね!

ほんとに歌が上手いですよね!

うたのおにいさんだったころの貴重な動画!子供と戯れている様子の動画が投稿されていました。

アニキの由来は、うたのおにいさんだった!

「2010年に上海万博に出演した時も、『中国はアンコールの習慣がありませんから』って事前に説明されてたんだけど、アンコールはもちろんアニキコールもありましたからね。オープニングセレモニーの時は、プログラムの途中でアンコールがかかるから、次になかなか進まなくて大変でした。ライブは4日間あったんだけど、開演前から外が騒がしいなと思ったらアニキコールだったり・・・・」

https://post.tv-asahi.co.jp/post-41003/

アニキ、アニキと呼ばれて親しまれていた水木一郎さんですが、そのアニキというあだ名の由来も、うたのおにいさんに出演したことが由来だそうです。

幼少期からジャズを聴き、音楽環境に恵まれる!

実家がレコード店を経営していたため音楽環境には恵まれ、幼少期からジャズなどを聴いていたようです。

16歳「僕のマシュマロちゃん」を歌い優勝、本格デビューのきっかけに!

1964年、水木一郎さんが16歳の頃、ジャズ喫茶に入り浸っているうちに顔なじみになったザ・ドリフターズの桜井輝夫の勧めで、当時新宿区歌舞伎町に存在したジャズ喫茶「ラ・セーヌ」で催されたコンクールでジョニー・シンバル(英語版)の「僕のマシュマロちゃん」を歌い優勝し、これが本格デビューのきっかけとなったようです。

早口で難しそうな英語の曲。

この歌で優勝できるところが、ジャズで培われた絶対音感のなせる業ですね!

まとめ

70歳を超えてのあの響きのある歌声は 本当に素晴らしかったです。 生涯現役を本当に貫いた人。 バビル二世のテーマソングはいまでも忘れません。これから若者達にアニソンを歌い続けて 広げていくと公言していたから本当に残念です。

心からご冥福をお祈りいたします。

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