泉美咲月さんがxで話題となっています。
Wikipediaを見ると、あっさりとした情報しか載っていませんでした。
泉美咲月さんは文筆家、写真家、トラベルジャーナリスト、出版プロデューサーなど、多彩な経歴がある方のようなので、調べてみたいと思います。
泉美咲月についてネットの評判
泉美咲月さんの本が出ました(^ ^)
— brushプランタン銀座店 (@brushprintemps) May 27, 2013
少し拝見させて頂きましたが、写真がすごく綺麗でタイに行きたくなりました!ぜひ皆様も読んで見てください(*゚▽゚*)綺麗になれる気が…綺麗になれそう(*゚▽゚*)iPhoneから送信
http://t.co/rbRlhQukCz
泉美咲月さんは文筆家でありながら写真家でもあるんですね。
小学生の頃から海外旅行などでは風景を撮影されていたようです。
その鍛えられたカメラ撮影の実力があるのでしょう。
今日素敵な贈り物が届きました~!
— 羽ごろも屋 (@hagoromoya1) March 29, 2016
文筆家、写真家など多才な肩書きをお持ちの泉美咲月さんから
小網神社(東京日本橋)の境内にある東京銭洗い弁財天でお清めした五円玉を頂きました!… https://t.co/472LWjHJRX
@ayame_0335 「京都とっておき和菓子散歩」(監修,宮澤やすみ/写真・文,泉美咲月/河出書房新社)って本?写真集?がまじおすすめ。庶民の上菓子とちょっといい上菓子が満載だった。見てるだけでかなり幸せになるwww どっかで見かけたら開いてみてっ
— 星群ありやV🌙.*·̩͙ (@7tyL) May 19, 2012
こちらの本は以下のような説明がありました。
素朴な門前菓子から雅な上菓子まで、京の暮らしに根付く和菓子の名店ガイド。神社やお寺、伏見や祇園などのお散歩スポットや可愛い京みやげ、宿泊処まで、たっぷりご案内。
河出書房新社
泉美咲月さんは写真を担当されているようですが、お上品な感じがしますね。
泉美咲月さんの「京都とっておき和菓子散歩」で紹介されている今西軒のおはぎを見て、おはぎ食べたい熱が復活!神馬堂のやきもち、出町ふたばの名代豆餅にもうっとり。門前和菓子食べ歩きの旅がしたくなりました。
— 猫空 (@catmarket) September 9, 2010
「京都とっておき和菓子散歩」の本は、読む人を幸せにしそうです。
泉美咲月のwikiプロフィールや経歴は?
- 名前:泉美咲月(いずみさつき)
- 生年月日:1966年生まれ(2024年58歳)
- 出身:栃木県
- 趣味:世界の巨大神仏像めぐり、長唄(杵屋勝四郎に師事)、リゾートホテルでセグウェイ
- 職業:文筆家、写真家、トラベルジャーナリスト、出版プロデューサー
泉美咲月は経歴も多彩でアクティブ!
泉美咲月さんは、色んな方面で活動されており、多彩な経歴を持っています。
以下ブログから抜粋しています。
1993年27歳:離婚
1994年28歳:著作家デビュー
2001年35歳:フランス、スペイン、イタリアといったヨーロッパ圏、さらに日本をはじめタイ、ベトナム、香港、台湾、マカオ、フィリピン、マレーシアといったアジア各国の500カ所以上の施設で体験&取材。
2004年38歳:写真家としても活動
2013年5月46歳:著書『40代大人女子のための開運タイごほうび旅行』(太田出版)を出版
2017年51歳:頚椎症ヘルニアの再発(2016年)の経験を踏まえて「痛みという孤独を抱える方を微力ながら癒したい」という想いと、スパ取材における視野を広げたいという一願がきっかけとなりセラピストとして技を学ぶ。
2018年52歳:2018年からすでに700人を超えるボディ・トリートメント(マッサージ)の経験を持つ。
2018年4月自身運営のWebメディア「旅を愛する大人のWebマガジン Voyager」を創刊。
2019年53歳:タイ国政府観光庁認定、タイランドスペシャリスト
2021年55歳:フィリピン政府観光省よりフィリピン・トラベルマイスター2021にも認定されている。
2022年には、タイ国政府観光庁より招聘を受け、アジア圏を対象としたコロナ禍初のメディア視察に日本代表として訪泰した
2022年4月1日付けで自分派遣アプリ『Ary(アリー)』を運営する株式会社Aryreoのエグゼクティブプロデューサーに就任。
泉美咲月の家族は裕福でセレブだった!
泉美咲月は3人兄弟の長女
泉美咲月さんのブログやJMAコラムから泉美咲月さんについての生い立ちがわかりました。
泉美咲月さんは3人兄弟の長女だったようです。
本人(泉美咲月)
妹4つ下
弟8つ下
こちらの画像は泉美咲月さんが3歳の頃の画像。隣に妹さんが映っています。
弟さんは、この頃はまだ生まれていない頃の写真です。
泉美咲月の父親は競走馬の調教師
父親は競走馬の調教師で海外視察が多かったようです。
泉美咲月さんの父親は53歳で病死していますが、40代の頃は精力的に世界の競馬場のある都市を旅していました。
その時に撮ってきた写真と体験が泉美咲月さんの原点となったようです。
父親のアルバムには1976年頃から80年代前半、欧米、アジアと中々目まぐるしく数カ国周遊で旅をしていた画像がおさめられているようです。
1976年から80年といえば、泉美咲月さんは10歳~14歳。
小学生のうちから海外旅行を経験させてくれたり、海外で見聞きしたマナーや文化が視察から帰国する度に導入され、ある日突然、ナイフとフォークの食生活が始まった……なんてエピソードも(笑)。
小学生の頃から海外旅行体験をできる家庭ということから、相当裕福だったものと考えられます。
この頃の体験が現在の生業ともなっているようです。
以下に2018年4月にWebメディア「旅を愛する大人のWebマガジン Voyager」を創刊されています。
こちらのサイトでは、好きな旅についての情報を発信しているんですね。
その運営にも携わっているようです。
泉美咲月の母親は癌で他界
泉美咲月さんの母親は2020年秋にすい臓がんの末期と宣告され、自宅で緩和ケアから看取りをされていたようです。
泉美咲月の叔父は中曽根康弘氏に秘書
叔父は生前に政治家を目指しており、中曽根康弘氏の秘書を務めていたそう。
叔父がアメリカ、エジプト留学をしていたこともあり、小学校時代からハワイやサイパン、ロタ島の様々なリゾートを体験できる家庭で育ったようです。
ちなみに中曽根元首相に泉美さんという秘書がいるかどうか、調べてみましたが情報をみつけることはできませんでした。
泉美咲月さんの父親は調教師で海外視察が多く、叔父も留学経験があるとのことで、かなり裕福でハイカラな家庭だったことでしょう。
泉美咲月の中学時代は斉藤和義と同級生
泉美咲月さんは、自身のブログで斉藤和義さんと同級生ということを明かしています。
クラスメイトと30数年ぶりの再会
3年3組(中学校)の出世筆頭は、ぶっちぎりでミュージシャン・斉藤和義くん。
このことから出身中学校が判明しました。
壬生町立南犬飼中学校
〒321-0207 栃木県下都賀郡壬生町北小林743
こちらの中学校は、芸能界や文筆で活躍している人を輩出している学校なのですね。
泉美咲月の大学時代は情報処理を学ぶ
JMAのコラムからの記事によると、泉美咲月さんの学生時代は、情報処理科でコンピュータシステムや言語などを勉強していたそう。
結婚直前までシステムエンジニアとして勤務していました。
バリバリ働きたい、即戦力になりたいという思いと、結婚して幸せな家庭を築きたいというふたつの夢があったそうです。
しかし、1993年に森瑤子先生が亡くなられたのが、きっかけとなり「書きたい」という気持ちが高まり、離婚してライターになろうという意思が芽生えたそうです。
泉美咲月は27歳で離婚
ブログには泉美咲月さんが27歳で離婚した頃の画像もありました。
離婚しライターになるため東京で住まいを構えたのが新宿区。
その下見で訪れた新築のマンションでの一枚だそうです。
離婚から新たな出発をする凛とした表情にみえますね!
この画像で泉美咲月さん着ている服が、当時大好きだったというROMEO GIGLIというブランド物もだそうです。
ここで気になるのは、どんな旦那さんだったのか?馴れ初めも気になりますが、そのような情報は投稿されておりませんでした。
離婚をきっかけにライター業で起業したとあるので、相当な決断だったのだと思います。
違う道に進むために葛藤されたのでしょうか。
まとめ
泉美咲月のwikiプロフィールや経歴は?生い立ちが裕福でセレブだった!と題して、泉美咲月さんのプロフィールや経歴、はたまた生い立ちを調べてみました。
色んな活動をされており、また、幼少の頃から海外旅行の経験などもあり、多彩に活躍されています。
これからの活躍も期待したいですね。
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